石巻の食品会社が挑む、「バーチャル共同工場」食ビジネス…震災でライバル10社が1つに、企業秘密も共有

「地方の一企業だけでは、ここまでできなかった」と語る平塚隆一郎さん(61、山徳平塚水産代表)に、石巻うまいもん株式会社のこれまでを聞いた。

「地方の一企業だけでは、ここまでできなかった」と語る平塚隆一郎さん(61、山徳平塚水産代表)に、石巻うまいもん株式会社のこれまでを聞いた。

撮影:丸井汐里、提供:石巻うまいもの株式会社

累計60万食を売り上げるヒット商品「石巻金華茶漬け」、“石巻うまいもの”第二弾となる「石巻金華釜めし」、今後はカレーにパスタも企画中 ——。

宮城県石巻市には、これらヒット商品を生み出す「食」のプラットフォームがある。

食にまつわる地元企業10社が共同経営する食品会社「石巻うまいもの株式会社」だ。震災による壊滅的な打撃を受けた後、2016年に設立された。

水産加工品や食肉、米などを取り扱う10社が知恵とノウハウを持ち寄り、協力して新商品を開発。統一ブランド「石巻金華」を生み出した。食の分野で競争するライバル10社の歩みは、東日本大震災での被災以降、支え合いながら築き上げた復興の歩みそのものだ。

「地方の一企業だけでは、ここまでできなかった」と語る、同社副社長で新商品開発の中心となった平塚隆一郎さん(61、山徳平塚水産代表)に、これまでを聞いた。

壊滅した水産加工業者が協力、復興目指しライバルが仲間に

被災した山徳平塚水産。

被災した山徳平塚水産。

提供:山徳平塚水産


「工場は津波に襲われ、原料の供給はままならず、働き手も足りず、販路も失い、生産量は激減しました」

平塚さんは、当時を淡々と振り返る。

震災前は北海道に次ぐ国内2位の漁業生産量を誇った宮城県だが、沿岸を襲った津波の影響で水産業は壊滅的な被害を受けた。石巻では2010年に12万8000トンあった水揚げ量が2011年には2万6000トンにまで落ち込んだ。

笹かまぼこや焼きちくわなど「練りもの」を製造していた平塚さんの会社も例外ではなかった。石巻にあった工場は津波に襲われ、操業不能に陥った。

震災から2年半を経た2013年8月、平塚さんは工場の操業を再開した。だが、再スタートは元通りとはいかない。震災前と同じ規模で再建しても、経営が苦しくなることは目に見えていたからだ。

3つあった工場は1つに減らし、おでんの具材など生産品目はレトルトの総菜に絞った。

そんな中、2014年に転機が訪れる。

石巻で食に携わる12社が「石巻うまいもの発信協議会」を発足。それぞれが新商品を紹介したり、イベントを計画する試みがはじまった。月に1~2回ペースで、各社の試作品の試食会も開かれ、互いに意見を出し合った。

提供:石巻うまいもの株式会社

ただ、当初は褒めることはあっても「こうしたほうがいい」という指摘が出ることは少なかったという。震災前は互いがライバルだったため、どこか遠慮があったのだ。

それも回数を重ね、親睦が深まっていくと、改善点を含めた率直な意見が言えるようになった。平塚さんは当時の手ごたえを、こう振り返る。

「工場が小さくなっても、企業として自社をさらに成長させていきたかったのですが、従来のやり方では限界がありました」

「うちにないものを、地元の他の企業と互いに補って、それぞれの得意分野を掛け合わせることができれば、みんなで課題を解消できるのではないかと…」

2016年には協議会でつくった繋がりを活かし、各社の新商品を集めたアンテナショップ「石巻うまいものマルシェ」をオープン。運営会社として誕生したのが「石巻うまいもの株式会社」だ。

協議会に参加していた12社中10社が参加。社内には商品開発の部会、広報・情報発信を担う企画部会を設け、営業戦略は全員で考える体制を整えた。

これが石巻の地元の水産加工業の復興を、大きく方向付けることになる。

銀鮭、さんま、たらこ…得意領域で勝負の「茶漬け」

撮影:丸井汐里

親潮と黒潮がぶつかる豊かな漁場に恵まれた宮城県。県内の主要漁港の一つ、石巻の港では200種類以上の海産物が水揚げされる。季節によっても獲れるものが異なるのも特徴だ。「石巻うまいもの」の参加企業にも、それぞれ専門がある。

水産加工業者は10社中8社を占めるが、それぞれ鰹節、たらこ、ほや……と、扱う商品は異なっていた。商品の棲み分けが自然と可能だった。

売り方も工夫した。アンテナショップを開いた当初は、各社の商品を「ただ並べる」だけだったが、「石巻うまいもの」の統一性が見えず、バラバラに見えてしまう。

「せっかく商品が揃っているのに、1つずつポンと置くだけでは種類の豊富さが伝わらず、売れないんですよね」

そこで、各社の商品の一部を統一パッケージで販売し、ブランディングを強化した。会社の基礎を整えるとともに、満を持して共同での新商品開発にも取り組んだ。

どんなお客さんに、どんな商品をつくれば喜んでもらえるか。ターゲットに見据えたのは、観光で訪れた人に向けたお土産、ギフト用の需要だ。

提供:石巻うまいもの株式会社

お土産なら常温で持ち歩ける商品のほうが便利だ。こうして第一弾はレトルトのお茶漬けの素の開発が始まった。

三陸の銀鮭、さんま、ほや、かき、磯のり。素材を熟知した彼らが具材を吟味し、質の高いお茶漬けの素を石巻の地から売り出そうと決めた。

開発指揮をとったのは平塚さんなど商品開発部会のメンバーだ。お茶漬けのベースとなる味は全体で決め、そのテイストに合うように各社が具材のアレンジを検討した。

製造ラインを共同化、レトルト技術など企業秘密も共有

レトルト加工用の機械。

レトルト加工用の機械。

提供:山徳平塚水産

ただ、課題もあった。全ての会社が食品をレトルトに加工する機械を持っていた訳ではなかったからだ。新たに機械を導入するには設備投資が必要だが、被災企業には重い負担だ。

そこで、レトルト加工の機械を持つ会社が加工を請け負う仕組みもつくった。機械のない会社は利用料を支払うことで、機械がある会社に加工を委託。現在レトルト加工ができる会社は2社。平塚さんの会社も他社商品の加工を請け負った。

繁忙期に応じて加工作業を割り振るなど、製造ラインを共同化する仕組みも整えた。10社を1つの工場に見立てたこの仕組みを「バーチャル共同工場」と呼んでいる。

「他の会社の協力を得ることができれば、それぞれの会社が生み出せる商品の幅も広がります。加工を請け負う会社同士でも、それぞれ繁忙期には受ける仕事量の割り振りを調整するなどして、継続的に加工ができる体制を作りました」

同じお茶漬けの素でも、扱う具材によってレトルト化するための処理温度や加熱時間、温度の上げ方は異なる。本来なら加工方法は企業秘密だが、安定した品質を保てるよう共同開発した商品のノウハウ・技術は10社で共有するルールを定めた。

「震災前はお互いどんな会社かも深く知らないライバル同士。それがノウハウや技術を教え合うんですから、画期的ですよね」

撮影:丸井汐里

こうして2018年に生まれたのが「石巻金華茶漬け」と名付けられたお茶漬けの素シリーズだ。ブランド名は石巻の象徴である金華山にちなんだ。

価格は2食入りで600円という高級路線。値段に見合うようパッケージデザインにも気を配った。高級感のある包装に、石巻市の木である黒松をあしらったブランドマークも制定した。

各社の得意分野の具材を揃えた7種類のお茶漬けが、ここに完成したのだ。

全商品を「平等」に営業、卸値も統一

提供:石巻うまいもの株式会社

「私たちの商品は、品揃えが魅力の一つ。品揃えがあるからこそ売れます。地方の一企業だけでは、ここまでできません。みんなで平等に営業し、全企業で販路を拡大するよう努めました」

自社が担当した商品だけでなく、他社が製造した商品も取引先に営業する。みんなで、全商品を営業するルールもつくった。平塚さんはこう語る。

7種類のお茶漬けは、「石巻うまいもの」に参加する各社それぞれが得意な品目で製造を担ったが、それぞれの商品を出荷する価格(卸値)を全社で統一した。

ときには取引先が『石巻金華茶漬け』を買い付ける際、他社の商品ばかりが選ばれ、自社のものが採用されないこともよくあったと平塚さんは語る。それも甘んじて受け止め、協力して商品を売り込んだ。

撮影:丸井汐里

次第に努力の成果も出てきた。2018年11月、東北の企業が開発した新しい土産物を発掘し、表彰する「新東北みやげコンテスト」で「石巻金華茶漬け」が特別賞を獲得した。

評判の高まりとともに、販路も広がった。発売から約2年が経ち、宮城県内の百貨店や道の駅、高速道路のサービスエリア、駅や空港の土産物店などでも売られるように。「銀鮭茶漬け」はJAL(日本航空)国際線のビジネスクラスにも採用された。

県外の百貨店やECサイトとの取引も始まり、「石巻金華茶漬け」は累計60万食を売り上げるヒット商品に成長。いまではラインナップも10種類に増えた。

「震災支援の恩返しを」販路拡大のノウハウを伝えたい

撮影:丸井汐里

2020年には「石巻うまいもの」第二弾となる「石巻金華釜めし」を発売。今後はカレーやパスタソースなどの販売も目指している。

複数の企業が関わりながらも、スピード感を持ってビジネスを進められた理由を、平塚さんは次のように話す。

「商材が豊富なのはもちろん、10社に関わる様々な人たちが適材適所で役割を担えるのは、“みんなで集まったから”こそです。例えば、販促については各社の経営者のご家族にも加わってもらい、アイデアを出しています」

「何かを決めるときも、いきなり多数決にはせず、何度も話し合いを積み重ねて、意見が一致する所を探していく。だから、納得して物事が進みやすいのかなと思います」

撮影:丸井汐里

平塚さんは「バーチャル共同工場」の仕組みを、石巻の水産加工団地一帯にまで広げ、共同化できればと、将来を展望している。

さらに、石巻うまいもの株式会社の事例を元に、販売方法や販路開拓に悩む全国の食品会社のコンサルティングに携わる事業も立ち上げたいと語る。

「震災前は、他社と一緒に仕事をすることになるとは考えていませんでした。でも、大変な思いをしたからこそ、助け合いの精神が芽生えた」

1社では不可能でも、集まれば可能になることもある。

「あの震災で、全国の皆さんからたくさんの応援を頂いた。その恩返しとして私たちのノウハウを伝えていければと思っています」

(文・丸井汐里、編集・吉川慧


丸井 汐里:フリーアナウンサー・ライター。1988年東京都生まれ。法政大学社会学部メディア社会学科卒業。NHK福島放送局・広島放送局・ラジオセンター・東日本放送でキャスター・アナウンサーを務め、地域のニュースの他、災害報道・原発事故避難者・原爆などの取材に携わる。現在は報道のほか、音楽番組のパーソナリティも担当。2019年よりライターとしての活動も開始。

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